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あね

マイ・ラスト・ソング

モツレクが終わった。コロナで開催が延期となり、紆余曲折をたどりながら、900名を超えるお客様に聴いていただくことができた。


はじめのうちは、レクイエムは「死者を悼む」曲だった。そう思って歌っていた。だが、父を亡くし、一緒に何度もステージを踏んできたFさんを亡くし、同い年の同業の友人Hを亡くし、私たちのステージを何度も切り盛りしてくれたステージマネージャーのA氏もすでにこの世にいない。あんなに笑顔が素敵な方だったのに。それらの訃報に触れるうちに、少しずつ自分の中に変化が生じてくるのを感じるようになった。


レクイエムは、生き残った者、残された者が、「生と死」、とりわけ「生きる」ということを見つめ直すためにあるのではないか。漠然とそんな思いを胸の奥に秘めながら、僕は今回のモツレクを歌った。


今朝、新聞を読んでいたら、小泉今日子の記事が出ていた。


小泉が、朗読と音楽による舞台「マイ・ラスト・ソング」を2008年以降、ライフワークとして取り組んでおり、久しぶりにその公演があるという。彼女がそんなことをしていたなんて、いまの今まで知らなかった。


そのテーマはまさに「生と死」そのものだ。演出家・プロデューサー・作家として活躍された久世光彦氏は、生前「死ぬ前に一曲だけ聴くことができるとしたら、どんな歌を選ぶか」をテーマとしたエッセーを書いていた。そのタイトルが「マイ・ラスト・ソング」。公演では、小泉自身によるエッセーの朗読と共に、小学唱歌や昭和の流行歌が、シンガーソングライター浜田真理子の弾き語りによって添えられる。


今回の東京公演のチケットはすでに完売だというが、幸いにも「マイ・ラスト・ソングアンソロジー」というCDが今年出ていて、早速聴くことができた。


小泉の朗読は本当に心に沁みる。小泉と自分は同い年だ。無論、彼女の人生と自分のそれとは、比べ物にならないほどの密度の差があるが、まぁ、それでもいい。レクイエムを終えたいまこそ、彼女の声にしずかに耳を傾けながら、新たな気持ちで「生と死」に向き合ってみたいと、いまはそんなことを考えている。



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